毎月一回は最低でも書き込もうと思っていましたが、何と2ヶ月以上も経過してしまいました\(__ ) 反省、、。
2ヶ月経つと、冬からすっかり春へと模様替えです。
庭の桜の木はつぼみが膨らみはじめました。
去年初めて揚げた「鯉のぼり」ですが、今年も揚げてみました。
この鯉のぼりは「北茨城工芸品認定」言うのを捜したのです。
去年買った時点で北海道納品第一号とのことでしたので、多分今年も北海道ではこれただ一つかなと、勝手に悦に入っています。
今日は日曜ですが雑用のため朝から医院にいます。
先ほど、屋根にある窓を久しぶりに開けて、そこから撮影してみました。
今日は天気がよく風が強いので絶好の鯉のぼり日和です。
ところで「コイノボリ大火」をご存じでしょうか?
この「コイノボリ大火」のため、40年ほど経過した私が幼少の頃でさえ、苫小牧ではコイノボリは揚げない風習になっていました。
現在はコイノボリ大火の影響は風化されたものの、時代が皆、コイノボリを揚げる風潮ではなくなってしまったようです。。
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大正15年5月1日三条通六丁目(すぐ大町歯科のすぐ近所、上の写真のコイノボリの後ろに見えるマンションの手前あたりです。)現大洋社印刷所から出火した
火は 風速15メートルの北風にあおられ、新川を越え当時の繁華街だった本町、幸
町、元町を焼きつくし、火の手はさらに海岸、北方に延び海岸では船まで焼き、
わずか2時間半に、町役場、西小学校、警察分署、郵便局、神社、拓銀派出所、
裁判所、水産組合、市場、劇場二、会社五、医院四など町の主要施設を含む 1.007
戸を焼き尽くしてしまった。
火の回りが早かったのは五月節句を前に各家庭で「コイノボリ」を立てており。
これに火がつき、火だるまとなって飛火し、乾燥しきったマサ屋根に落ち次か
ら次へと延焼していったのである。
当時の消防設備に新購入のガソリンポンプ一台があったが、運悪く当日分解掃
除中でこれが使えず、手押しポンプ三台ではどうすることもできず、消防手は
ただぼう然と傍観同様の状態であった。
被害総額は当時の金額で 519 万円にのぼり、5.350 人が家、家財を失ったので
ある。
この火災復旧のため、町は 30 万円の復旧起債を出願し、町民の不眠不休の努
力と王子製紙を中心とする経済力によって、僅か一年足らずで復旧し、新しい
苫小牧の町づくりがはじまった。
(苫小牧市開基百年記念・目でみる苫小牧の百年より転載)
地図上のポイントが大町歯科、本町2-6、王子町2-1と書いてある信号のすぐ右が大正15年の出火場所です。