大町歯科加藤医院は高松歯科医院(錦町)、湯口歯科医院(表町)、三輪歯科医院(本町)に次いで、昭和03年11月に、初代院長加藤生男(うぶお)が現在地、苫小牧市大町9番地に(昭和45年07月01日、苫小牧住居表示により大町2丁目4番6号になる)加藤歯科診療所を追分町から移転開業したことに始まります。当時は無資格医がまだまだいた時代だったとも聞きます。昭和46年6月25日より加藤勝己が二代目院長となり、昭和63年から、私、加藤清志が診療を引き継いでおりましたが、平成6年02月に三代目院長になるにあたり、大町歯科加藤医院と改称いたしました。

(写真は昭和32年09月22日撮影のものです。)


左は同時期の写真です。向かって左から2番目が初代院長、加藤生男。その右が副院長 勝己です。ベルト式電気エンジン、扇風機が付いた診療ユニットが当時としては最新式であったはず。この後しばらくして、後付でエアータービン(圧搾空気で回転するぴゅーんというあれ。)がつけられましあ。ちなみに私はまだ生まれていません。ユニットに立っているのは従兄(林 信太郎/秋田大学教育文化学部地学教室教授)です。
右写真は2003/07/26の診療室の写真です。両者同じ窓側で撮影されています。

初代院長、加藤生男(うぶお)の診療風景です。今の院内の青い3番ユニットあたりです。

祖父の治療は痛くて、受付で来院されている患者さんが「若先生でおねがいします〜」と頼む方が結構いました(笑)

優しい祖父でしたが、私も父が不在の時に祖父に診てもらうのは、怖かったです。

同じく同時期の写真です。技工中の副院長(当時)の父勝己。当時は診療の合間と診療後、夕飯を済ませてから歯科技工を歯科医師自らが行っていました。鼻先に写っているのは、義歯の合成樹脂填入をする際のスクリュー式(現在は油圧式)プレス器で、その右には研磨機が見えます。右手で持つ器具を熱しているのは、ガスバーナーではなくアルコールランプです。弊院では昭和44年頃ガスバーナーに替わりました。手前のマッチ箱のすぐ横は遠心鋳造機というもので金属を鋳込む機械です。圧迫蓋という水蒸気膨張を利用した鋳造器具もまだまだ後々まで使われていました。石膏模型を削るのも昭和45年頃までは、お祭りの露天商が売っていた鞘に収まる三特鋸を毎年調達して使っていました。私は祖父、父に毎年ついてお祭りに行き、買っていたのを覚えています。古き良き時代です。

弊院は基本的にこのときのままの古い建物で今も診療しております。ただ、医療機器はほとんど全て、私が帰ってきてから買い換え買い増しをしていますので、医療水準が昔と同じではありません。現代の水準くらいで診療しているつもりですので、、あしからず、、、(^_^;)